それは愛が彷徨う影

明日、生きている保証はない。自分も、数少ない好きな人たちも。だからそういう人たちにはいつでも後悔のない接し方をしなくてはいけない。「あれが最後だった」と振り返った時に、いつでも胸を張れるような態度をとっていたい。それは分かる。けど、同時にまったく分かっていないとも思う。まず、接し方という考え自体が自分本位で身勝手なものだ。別の身体の別の魂が、空気の振動や体温で分かり合える数少ない事柄(楽しいことだけじゃない。辛いこともそうだ)こそが、他人と触れ合い、求め合う理由になる。先に書いた考えは、それを無視している。自分の肉眼で自分の後頭部を見ることができないことを、忘れてしまっている。

そしてこの心の雲行きの悪さよ。思えば何年もこうして自分の首に背後から手をかけられ、呼吸を許される極のところで生きている気がする。…それは勘違いだと知っているし、もうこれでは酔えないということも分かっているのだが…

私は人を愛せる人で良かった。そう願っている。


松井 良太