とても綺麗だわ
南の方や西の方へ行きたいと思う時は、自然とアルコールに手が伸びてしまうし散歩と言う名の徘徊も長時間に及んでしまう。つまるところ私はこの「考える」という行為ないし癖から逃げたいのかもしれない。けれどそれは無理だし本当はこれでいいと思ってもいるから、
あ、脳の電池がキレタ
松井 良太
離れるなよ
「意識の有無は免罪符にはならない」と、昔から私は思っている。他人に対してこれを説くのはあまりにも説教くさいので基本的に自分の取る態度の指針として思うようにしている。そしてそれは何度も裏切られたし、今ではもう最初の頃の腹にドシンとくる重さはなくなって、一つのファッションのようなモノになってしまった。しかしそれでも思っている。自分の弱さは矛盾のトリガーになり得るがそれはあまり好ましくない。若く美しい身体でそれを利用するのは一文の得にもならないことを知っている。私はいつでも意図的でいたいのだ。そう願っているのだが……
松井 良太
光の柱
魂がやっとこの身体に慣れてきたので、膜を洗い流したら出かけるぜ
松井 良太
あなたの変える場所
去年の今頃聴いてたこの曲は、絶望と不安と秋と夜中の中華街を一度に感じることができる超ノスタルジックなものである。
あなたの帰る場所はあるから、名前を呼んでくれ
松井 良太
ベリーナイス自己愛
つい数年前まではよく季節の変わり目に体調を崩していた。「松井くんは身体弱いよね」なんてことをそんなに親しくない人から言われたりもしていた。今となっては年に一度鼻風邪をひく程度だが、その度にちょうど高校生三年生の文化祭の頃を思い出す。その付近で高熱を出してぶっ倒れていたからだと思う。近所でも夕方頃に、制服の男女が何やら大きな木材や100円均一のビニール袋を持って学校へ入っていくのを最近は目にする。胸を焦がす景色。不安さえ覚える。
あの頃の私、空気の乾いた秋の日と、窓から見下ろした女子生徒が脱ぎ捨てた紺色のカーディガン、サイケデリックな色彩の木の板、教室の蛍光灯が照らす暗い廊下、「カップヌードルの麺って食用ミミズなんだって」「えー最悪」「でも美味いからいいんジャネ?」…………今の私が生まれたのは恐らくこのあと二年後、この頃の私は青さすらなかった。無色透明、恋人に愛想を尽かされて半分死んでみたり、椎名林檎と一緒に「私は17歳。周りは皆同じ顔に見える」と小さく歌っていた。
と、言いつつ私はまあまあクラスの人気者で客観的に見ても美少女と言えるような彼女がいて、スクールカーストではそこそこ上の方にいたから、今前髪で目を隠してるお前らが歌うことの真意は充分分かっているが、センスのない陰気臭さはとてつもなくダサいとも思う今、とりあえずオレの前からは消えろ。おやすみ
松井 良太